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2013.02.02 体験談 加藤友介選手
8 月にスタートしたアルゼンチン前期リーグは現在、折り返し地点へと差し掛かったところだ。そのリーグ戦でアルゼンチン人選手に混じってプレーしている外国 人選手の中に、ウラカンに所属する加藤友介という、ある日本人FWが名を連ねている。アルゼンチン1部でプレーする日本人選手としては、2001年にボ カ・ジュニアーズに在籍した高原直泰(現フランクフルト)以来2人目となる加藤だが、本人は「高原選手はこっちに来る前から日本で有名やったじゃないです か。僕なんかとは比べものにならないですよ」とあくまで自然体だ。
「小さい頃はカズ(三浦知良=横浜FC)にあこがれていたので、カズダンスを踊ったり、またぎフェイントとかをまねしてました」。生まれ故郷の大阪・箕面 市で、小学校、中学校とサッカーの練習に励んでいた加藤。だが彼は、次第に部活動のレベルに物足りなさを感じるようになったという。そこで加藤は思いきっ て海外に行かせてもらいたいと家族に相談を持ち掛け、そして彼の両親がこれに深い理解を示したおかげで、中学2年の春休みを利用した、2カ月間のアルゼン チンサッカー留学が実現することになった。
実はこの留学を決意する前、加藤は友人とともにガンバ大阪のユースのテストにも挑戦している。だが結果は不合格。「あの時もし受かっていたら、たぶんアル ゼンチンには来てなかったでしょうね。でも日本のユースでやって上に行けなかったら、先の目標がなくなって、きっと僕はそのままサッカーを辞めてたと思う んですよ。だから今は、あの時テストに落ちて逆に良かったんじゃないかと思ってます」
こうして当時14才の加藤は、南米アルゼンチンへと飛び、コーディネート会社の紹介を受けて、ウラカンの9軍(U-14カテゴリー)で練習に参加した。彼 はその滞在を「とにかく楽しかった」と振り返る。「みんな自分よりデカい選手ばっかりでした。9軍でもうまい奴は相当うまくて、そういうところはスゴいな と思いましたね」。2カ月間の滞在を通して、すっかりアルゼンチンのサッカーに魅せられた加藤は、ある決意を胸に日本へと帰国した。「高校に入る前から、 卒業したら絶対アルゼンチンに行くって決めていました。もうそのことしか考えてなかったです」
4年後の2004年4月、高校を卒業したばかりの加藤は、再びウラカンへとやってきた。前シーズンに降格したウラカンは、再昇格を目指して2部リーグを 戦っているところだった。知り合いを通じて、5軍(U-18)で1年のテスト期間を設けてもらい練習に合流した加藤は、次第にその実力を伸ばしていく。 「まず、そんな簡単にボールを取られないようになりましたね。こっちってボールを取られるたびに仲間とか監督に怒られるんで、そこはずっと気に掛けながら やってました。来た当初よりはできるようになったと思います。あとは気持ち、根性っていうんですか。そういうのがないと、やっぱりアルゼンチンではやって いけないので、精神的に強くなることが大事だと実感しました」。5軍でのテスト期間を無事クリアした加藤は、翌年の8月に4軍(U-19、20)のメン バーとして登録され、ユースのリーグ戦でプレーするようになる。