■1部
■2部
■2部B
ラージョ・マハダオンダ
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セスタオ・リベール
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グアダラハラ
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ヘタフェBなど
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■3部以下
マドリードのクラブ
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※2015年10月現在
■1部
■2部
■2部B
ラージョ・マハダオンダ
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セスタオ・リベール
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グアダラハラ
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ヘタフェBなど
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■3部以下
マドリードのクラブ
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※2015年10月現在
★世界トップレベルのサッカーに触れてみたい・・・
★プロを目指したいけど、その足がかりが掴めない・・・
★周りのライバルに、一歩、差をつけたい・・・
★異文化のサッカーに触れてみたい・・・
★アルゼンチンに一度は行ってみたかった・・・
★とにかく少しでもいいから、サッカーが上手くなりたい・・・
★世界トップレベルのアルゼンチンでは、どの様な練習・指導をしているのか?生で見てみたい・・・知りたい・・・
★世界中で使用者数「3億人」を超えると言われる、スペイン語を学びたい・・・
★今のモヤモヤした平凡な人生に嫌気がさした。自分を変える起爆剤が欲しい・・・
★「美人の宝庫」と言われる南米美人を、一度でいいから見てみたい・・・
★母校のサッカー部が弱くて、今一、自信が持てない。もっと自信をつけたい・・・
動機は何でも結構です。
必ず、あなたの人生において、忘れる事の出来ない貴重な体験になる事は間違いありません。
人によっては『夢』を実現するための大きな転機になる事でしょう。
■1部
ボカ:世界一に3回輝いた歴史のある名門クラブ。アルゼンチン国民の4割はボカのファン・サポーターと言われている人気クラブ。
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アルヘンティノス:育成では名門中の名門。カンビアッソやリケルメなど代表選手を数多く輩出するクラブ。2010年はリーグ戦も優勝。
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ウラカン:日本人の加藤友介がユースからトップにプロ契約したこともあり、非常にチャンスがあるクラブ。
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べレス:1995年にトヨタカップで優勝を飾った名門。かつてはチラベルト(元パラグアイ代表GK)が在籍した。守備が非常に固いチーム。
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■2部
チャカリータ:ホームはサンマルティン。黒と赤のストライプのユニフォームで、熱狂的なファン・サポーターも多く、ビッグクラブの1つ。1部と2部を行ったり来たりしている。
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1903年創立の歴史のあるクラブ『サン・マルティン(トゥクマン)』。赤と白のストライプのユニフォーム。トゥクマン州サン・ミゲル・デ・トゥクマン市内に3万人規模のスタジアムを所有する。
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■3部
チカゴ:トップチームは1部にいたクラブだが、下部組織のユースは1部に所属、毎年良い成績を納めている。 森岡亮太選手(ヴィッセル神戸)も、プレー経験を積んだ。
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コレヒアレス:3部と4部を行き来しているブエノス・アイレスのクラブ。日系人で初めてプロ契約したガブリエル金城選手が活躍したクラブ。
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エストゥディアンテス(ブエノス・アイレス):名前は1部のエストゥディアンテスと一緒だが、また別のクラブ。施設はかなり素晴らしいものがあるクラブ。
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デポルティボ・エスパニョール:昔はずっと一部にいたクラブでかなり規模的には大きいクラブ。赤と白のユニフォームが印象的。
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■4部
ラフェレーレ:このクラブは独特の魅力を持つ。ホームゲームでは毎試合約6000人が集まり、チーム を後押しする。余程の気合いがなければ試合で活躍することは難しい。4部リーグ所属とはいえ、サポーターが非常に熱いチーム。地域に根付いてい、ある意 味、アルゼンチンらしいクラブ。
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C.A.フェニックス:フェニックスという名前の通り、羽を伸ばして羽ばたくようなイメージを持つ地域密着型のクラブ。ニューピーという選手が、試合数よりゴール数が多いというギネス世界記録を達成、アルゼンチンではすごく有名な選手でもある。
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ポルべニール:創設は1915年、以前は2部にいた名門クラブだったが、財政難のため降格した。現在は決して豊かとはいえない財政の中、虎視眈々と昇格を目指し戦っている。下部組織のユースは2部に属している。
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リニエールス:昔、日本人では片山堅二(サッカー/県リーグ&フットサル/関東リーグで活躍)がプレーヤーとして活躍したクラブ。水色と白のユニフォームが印象的。やはり熱狂的なファン・サポーターが多い
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リエストラ:白と黒の縦じまユニフォーム。ボカやリーヴェルと並ぶビッグクラブの1つ『サン・ロレン ソ』のスタジアムの後ろにホームスタジアムを保有しているクラブ。1931年に創設された歴史のあるクラブ。約3000人収容するホームスタジアムには約 20匹ほどの護衛の犬がいるのも有名。
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※2015年10月現在
『アルゼンチンサッカー留学』という話はよく耳にしますが、
実際に留学した日本人がアルゼンチンにて、
正式な『選手登録』を済ませてからプレーができている例は、非常に少ないです。
大体が「練習生」で終わり、地方の州リーグで試合をこなす、といった厳しい現状が多いです。
『LINES ENTERTAINMENT(株式会社ワカタケ)』では、現在までに長期サッカー留学生を6人送り出し、6人ともAFAリーグ(アルゼンチンリーグ)に選手登録をして、プレーができている実績を誇ります。
もちろん、本人の実力が大前提ではありますが、『LINES ENTERTAINMENT』に来る選手は、高校生年代のときこれといった実績もなく、鳴かず飛ばずだった選手も多くいます。
『LINES ENTERTAINMENT』は、「何とかアルゼンチンで成功したい」という希望を持つ選手には、留学先のアルゼンチンはもちろんのこと、できる限り日本国内も全力でサポートさせていただきます。
2009年に短期でアルゼンチンに来た京都久御山の森岡亮太君が、この度ヴィッセル神戸に入団致しました。
彼は去年、あつしとかんたと言うキーパーと共に3人で
チカゴという20歳以下が1部リーグのチームに連れて行きました。
亮太はチカゴに連れて行った時も技術的にはかなり優れアルゼンチンでもやれる選手でした。
ただ手の使い方や体の使い方何かは、日本人だったのでまだまだだな~という感じでした。
でもアルゼンチンに来てパワーアップして神戸に入団したのは本当にすごいことです。
是非1日でも早く試合に出れる様応援しています。
8 月にスタートしたアルゼンチン前期リーグは現在、折り返し地点へと差し掛かったところだ。そのリーグ戦でアルゼンチン人選手に混じってプレーしている外国 人選手の中に、ウラカンに所属する加藤友介という、ある日本人FWが名を連ねている。アルゼンチン1部でプレーする日本人選手としては、2001年にボ カ・ジュニアーズに在籍した高原直泰(現フランクフルト)以来2人目となる加藤だが、本人は「高原選手はこっちに来る前から日本で有名やったじゃないです か。僕なんかとは比べものにならないですよ」とあくまで自然体だ。
「小さい頃はカズ(三浦知良=横浜FC)にあこがれていたので、カズダンスを踊ったり、またぎフェイントとかをまねしてました」。生まれ故郷の大阪・箕面 市で、小学校、中学校とサッカーの練習に励んでいた加藤。だが彼は、次第に部活動のレベルに物足りなさを感じるようになったという。そこで加藤は思いきっ て海外に行かせてもらいたいと家族に相談を持ち掛け、そして彼の両親がこれに深い理解を示したおかげで、中学2年の春休みを利用した、2カ月間のアルゼン チンサッカー留学が実現することになった。
実はこの留学を決意する前、加藤は友人とともにガンバ大阪のユースのテストにも挑戦している。だが結果は不合格。「あの時もし受かっていたら、たぶんアル ゼンチンには来てなかったでしょうね。でも日本のユースでやって上に行けなかったら、先の目標がなくなって、きっと僕はそのままサッカーを辞めてたと思う んですよ。だから今は、あの時テストに落ちて逆に良かったんじゃないかと思ってます」
こうして当時14才の加藤は、南米アルゼンチンへと飛び、コーディネート会社の紹介を受けて、ウラカンの9軍(U-14カテゴリー)で練習に参加した。彼 はその滞在を「とにかく楽しかった」と振り返る。「みんな自分よりデカい選手ばっかりでした。9軍でもうまい奴は相当うまくて、そういうところはスゴいな と思いましたね」。2カ月間の滞在を通して、すっかりアルゼンチンのサッカーに魅せられた加藤は、ある決意を胸に日本へと帰国した。「高校に入る前から、 卒業したら絶対アルゼンチンに行くって決めていました。もうそのことしか考えてなかったです」
4年後の2004年4月、高校を卒業したばかりの加藤は、再びウラカンへとやってきた。前シーズンに降格したウラカンは、再昇格を目指して2部リーグを 戦っているところだった。知り合いを通じて、5軍(U-18)で1年のテスト期間を設けてもらい練習に合流した加藤は、次第にその実力を伸ばしていく。 「まず、そんな簡単にボールを取られないようになりましたね。こっちってボールを取られるたびに仲間とか監督に怒られるんで、そこはずっと気に掛けながら やってました。来た当初よりはできるようになったと思います。あとは気持ち、根性っていうんですか。そういうのがないと、やっぱりアルゼンチンではやって いけないので、精神的に強くなることが大事だと実感しました」。5軍でのテスト期間を無事クリアした加藤は、翌年の8月に4軍(U-19、20)のメン バーとして登録され、ユースのリーグ戦でプレーするようになる。
僕は、この春アルゼンチンへサッカー留学に行ってきました。
アルゼンチンで学んだ事で、一番印象に残ったのは、アルゼンチンの人は体のぶつかりが激しいという事です。
僕がアルゼンチンの人達と一緒にゲームをやった時、ボールを奪おうと体をぶつけましたが、相手は全然バランスも崩さず
プレーをしていて、「日本での体のぶつかり方では通用しない」と思いました。
他にも色々感じる事はたくさんありました。
でも、こんなに素晴らしい経験ができたのは、アルゼンチンにいる、Tさん、一緒に行ってくれたTさん、Mさん、Tさん、いろんな事を教えてくれた稲若さん、そして、行かせてくれた家族のおかげです。あまり出来ない経験ができたと思います。
皆さんに感謝してこれからの生活などに生かしていきたいと思います。
ありがとうございました。 (保科達也)
アルゼンチン留学の際、達也が大変お世話になり有難うございました。
東日本大震災後の困惑の中、留学を決行して頂き、また無事帰ってこれた事、誠に感謝致します。
息子も初めての海外旅行、サッカーの本場アルゼンチンへサッカー留学で、行くまではかなり不安がありました。
日本に帰国して、駅で息子と再会した時、息子の目に浮かんだ涙を見て、大変だったのかと感じました。
その日、息子から聞いたアルゼンチンの話は、アルゼンチンサッカーを経験し感動した話、T君たちと過ごした楽しい生活の話ばかりでした。
帰国して、一週間が過ぎましたが、息子は以前に比べ、自分なりのサッカー観を持ち、自分の考えを自分の口で伝える事が出来るようになったと感じます。
これも、アルゼンチン留学で学んだこと、留学をやり遂げた自信の表れかと思います。
貴重な経験をさせて頂き、本当に有難うございました。
弟の裕也が達也に感化されアルゼンチン留学を夢見ています。ぜひ、またの機会宜しくお願い致します。
本当に有難うございました。 (父・保科宏充)
留学中、リケルメの弟と仲良くなって、リケルメのスパイクをいただきました。